こんなもの
http://astore.amazon.co.jp/konnokiyotaka-22
を作りながら(作るというほどではないですが・・・)、昔の記事を読んでいて、
http://konnokiyotaka.txt-nifty.com/pgblog/2005/12/post_9f73.html
ふと昨日の飲み会の話題を思い出しました。

何かが終わって、そこで問題点を明確にして次につなげる。
けど、終わらないと問題点を明確にできないのか?

アジャイルの本質はフィードバックだと思います。
それを細かく繰り返すからよい成果につながるのだと思います。

設計が終わって設計を評価する。製造が終わって製造を評価する。それで成果を出せるのか?
大きな目で見れば(本当はこんなこと言ってはいけませんが)必ずしも個々のプロジェクトで成果を出すことににこだわる必要はないと思います。
着実に次のプロジェクトにフィードバックされれば、その組織は成長すると思います(成長した上で以前のプロジェクトに恩返しするチャンスもあると思います)。
しかし終わってからの評価は次にフィードバックしにくい。なぜなら評価した情報が劣化するから。
なるべく劣化させないためのツールがドキュメントですし、ドキュメントの力を最大化させることを考えてはいますが(たとえば整理された記載項目によって自分でも思っていなかったことがあぶりだされるなど)、しかし所詮ツールはツールで、何のためのツールかと言ったら意思連携のためのツール=コミュニケーションツール。
しかし、時間をはさんで、ドキュメントを通じたコミュニケーションには限界がある。整理しきれなかった情報は消失し、そもそもそのドキュメントの存在すら忘れられ・・・。

フィードバックはアジャイルに。アジャイルにフィードバックするからアジャイル開発。

ところで、以前聞いた話で、管理にはマネージメントとコントロールがあると。
こんなことでしたかね??
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NC/yajima/20030224/1/
「正しいことをする」と、「ことを正しくする」と。
たとえば体年齢47歳の私は10kgぐらい痩せないといけない。
10kg痩せさせるのがマネージメント。そのためには運動と食事を管理しようというような計画を立てる。
で、では運動に関しては毎週10km走ろう。雨が降って走れなかったら翌日ちゃんと走ろう。先週5kmしか走れなかったら今週は15km走ろう。これがコントロール。
コントロールのためにも頻繁なフィードバック(何時何km走ったか)が必要ですが、マネージメントのためにも必要なはず(何km走って何kg減ったか)。しかし、これってちょっとコントロールっぽいですね。

マネージメント専門になるとコントロールが面倒になるということはありますかね?
なぜ最終的に8kgしか減らなかったのか?これの本当の理由って実は出せないんじゃないですかね?じゃあ次は12kmにしてみたら、みたいな。
けど、先週5kmしか走れなかった理由は出せるし、理由と事実があるなら対策を取らなければいけなくて、しかもその対策を取ったら結果が出なければいけない(はず)。これって結構きついですもんね。

ただ、そこで押しつけあっても仕方がない。健康のために10kg痩せることが正しいと共感できるなら、少なくともマネージメント不在で痩せるべきか太るべきかも分からないということはないのだから、しっかりコントロールして、マネージメントに必要なコミュニケーションもとる。(そんな役割分担が正しいかは疑問ですが・・・)

話があっちこっちで訳分かりませんが、そんな感じです。