「建築家であること」シリーズの最終回は、やはりこのネタになります。
85年にクリストファー・アレグザンダーの設計した盈進学園がオープンしたのですが、石山修武さんは「アレグザンダーの可能性と限界の両方をみてしまった」と言います。「彼が言っているパタン・ランゲージというものは、彼個人の頭の中、理念の中に全部集約されすぎていて、それを共有することが難しかったのではないか」「だから、施工の途中で非常に大きいトラブルもたくさんあったようですし、そのトラブルをリカバーできなかったのではないか。」ということです。
これはショックな発言です。私は、パターン・ランゲージ、デザインパターンは、コミュニケーションの質をあげるためのものと理解していたからです。
こちらの「盈進学園パタンランゲージ」というページで、実際のパターンが紹介されています。もしこれだけだとしたら確かに共有はできないでしょう。パターンランゲージであるからには、これだけではなく、「文脈」「問題」「解決」という形になっているとは思いますが。
以前も思いましたが、この辺は本当に実態、特にこの件を批判的に見る眼からの実際の状況を知りたいなと思います。